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切手で読む地図の楽しみ

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切手で読む地図の楽しみ
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 地図といっても様々な地図があります。描き方も,描く範囲も様々であり,その目的もまた様々です。単に地名や場所をさがすためのモノではなく,地図には様々な役割があります。その地図を小さな1枚の切手の中に描いた「地図切手」を通して,地図を見る楽しみ,地図を読む楽しみを日々探っていこうと思います。
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インディアナ州

2012/01/29 15:20
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 アメリカ合衆国の州地図,今日はインディアナ州です。同州は前回紹介したオハイオ州の西に隣接する州で,以前紹介したアイオワ州とともにコーンベルト(トウモロコシ地帯)の一角を占める州でもあります。

 上の切手は,インディアナ州150年を記念して1966年に発行された切手で,図案には同州の地図が描かれていますが,南部の州境が曲がりくねっているのは,前回のオハイオ州と同様オハイオ川の流路ということになります。

 また,同州は毎年5月に行われる自動車レースのインディ500の開催,歌手故マイケル・ジャクソンの出身州としても知られています。

 ちなみに,インディアナ州の名称は先住民のインディアンにちなんでいますが,現在では先住民人口は州人口の0.2%にすぎません。
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美しい川オハイオ州

2012/01/22 18:00
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 アメリカ合衆国の州地図が続きますが,今日は五大湖の一つエリー湖の南側に位置するオハイオ州です。州南部を流れるオハイオ川とエリー湖が結合して水上交通が発達した結果,工業生産の飛躍的な伸びにつながり,今では全米有数の工業州になっています。
 
 上の切手は1953年にオハイオ州150年を記念して発行された切手で,図案にはオハイオ州の地図が描かれていますが,南側の境界線がかなり複雑に曲がりながら続いています。これがオハイオ川の流路で南側の州との境界になっているわけです。

 このオハイオの地名はインディアン,イロコイ族の言葉で「美しい川」を意味し,この川の沿岸にある南西部のシンシナティはドイツ系移民の多い町として知られ,州全体でもイギリス系を上回ってドイツ系人口の多い州になっています。

 一方,北部エリー湖岸には鉄鋼業の発達するクリーブランドがあり,シンシナティと共にメジャーリーグの本拠地を持つ都市で,州内にシンシナティ・レッズ,クリーブランド・インディアンスという二つのメジャー球団を抱える州になっています。ちなみに,州都は中部のコロンバスで,かの探検家クリストファー・コロンブスの名にちなんだ町です。 
 
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先住民の多いオクラホマ州

2012/01/17 17:40
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 前回に続いてアメリカの州の地図切手ですが,今日はアメリカ合衆国中央部の平原地帯に位置するオクラホマ州です。上の切手は1957年にオクラホマ州50周年を記念して発行されたもので,図案には同州の地図が大きく描かれています。

 同州北部は北に隣接するカンザス州から続く冬小麦地帯として知られる小麦の産地ですが,オクラホマの名は先住民の言葉の「赤い人々」の意味から付けられた地名です。

 歴史的には1830年のインディアン移住法にもとづいて,南東部のインディアン5部族がオクラホマ東部に強制的に移住させられ,まずインディアン領が形成されますが,その後オクラホマ西部には白人が入植し,その西部は1890年に準州に昇格します。東部のインディアン領も独自の州への昇格を目指しますが,結局1907年に西部のオクラホマ準州と東部のインディアン領が合併し,合衆国46番目の州としてオクラホマ州が成立します。

 そのような歴史的背景から,現在でも州の人口に占める先住民の比率が高く,州内の先住民人口約28万人は全米一の数字になっています。
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コーン州

2012/01/08 14:59
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 本年はじめての更新になります。昨年度から更新間隔が長くなっていますが,本年もぼちぼちと続けていきますのでよろしく御願いします。
 
 本年2012年は4年に一度の夏季オリンピックとアメリカ大統領選挙の年ということで,本年最初の地図切手はアメリカの地図切手です。上の切手は1946年に発行されたアイオワ州100年を記念する切手で,図案にはアイオワ州の地図と州旗が描かれています。

 アメリカ中西部に位置するアイオワ州は,通常アメリカ大統領選挙戦のトップを切って州の党員大会が開かれ,その結果が後の選挙戦に大きな影響を与えることで注目される州です。今年も1月3日に共和党党員集会が開かれ,前マサチューセッツ州知事のロムニー氏が8票差の大接戦をで勝利しました。

 また,このアイオワ州は肥沃な土壌に恵まれたアメリカ有数の農業地帯で,地理の教科書でおなじみの「コーンベルト(トウモロコシ地帯)」の中心的な州でもあり世界一のトウモロコシ生産地帯で,「コーン州」というニックネームを持っています。

 切手図案をよく見ると,地図の左右両側にトウモロコシも描かれています。
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日本統治時代のフィリピン切手

2011/12/29 21:23
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  前回,アメリカ統治時代におけるフィリピンの地図切手を紹介しましたが,その記事の中でも書いたように第二次大戦中の1942〜1945年は日本が統治していました。 ということで,今日はその日本統治時代のフィリピンの地図切手ですが,上のカバーはその地図切手発行時の初日カバーです。左の2枚がその切手に該当しますが,1943年に日本統治下で発行されたバタアン・コレヒドール陥落1周年の記念切手です。

  コレヒドール島は18世紀にスペイン人が要塞を築いた島で,アメリカはさらに島全体を要塞化しました。そしてこれを日本軍が攻略して陥落させた歴史があるわけです。 この切手図案の地図にはマニラ湾に突き出すバターン半島とその沖合に浮かぶコレヒドール島が示されています。印面のカタカナ表記が何とも特徴的です。

  ところでこの初日カバーですが,元はアメリカ統治時代の公用葉書で,その料額面のアメリカ表記部分と料額面下の公用(O.B.)表記部分,そしてマニラの市章部分を黒塗りで加刷抹消しています。そして日本統治下で発行された附加金付切手も貼られています。さらに右下には大日本憲兵隊の検閲印が押されているという,なかなか賑やかなカバーです。

  このカバーに貼られている日本統治時代の切手は,いわゆる南方占領地切手と呼ばれる切手の1種で,さくら日本切手カタログにも採録されています。   

 
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アメリカ統治下のフィリピン切手

2011/12/24 21:48
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 フィリピンの地図切手が続いていますが,今日の切手は1937年にマニラでの第33回キリスト教会議を記念して発行されたもので,図案はフィリピンの純地図切手という感じです。

 以前紹介したように,フィリピンはスペインの支配による影響でカトリック教徒が圧倒的に多い国ですが,そのスペインの支配も米西戦争の結果,1901年にはフィリピンはアメリカに割譲され,1942年に日本が占領するまでアメリカの統治下になります。

 したがって,この切手はそのアメリカ統治時代の切手ということになり,印面上部にはUNITED STATES OF AMERICAの文字も確認できます。
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フィリピン附加金付切手

2011/12/18 15:13
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 前回スペイン人のフィリピン,セブ島への到達ルートを描いた地図切手を紹介しましたが,今日はそのフィリピンの地図が大きく描かれた切手です。

 上の切手は1963年に同国から発行された結核予防運動のための附加金付切手で,フィリピン諸島の地図とダブルクロスマーク(複十字)が描かれています。

 図案の地図でわかるように,フィリピンは多くの島からなる島国ですが,実際には首都マニラのあるルソン島や,昨日台風の大きな被害があったミンダナオ島をはじめとして約7000もの島があります。切手図案の地図の縮尺では,一部の島しか描かれず小さな島は省略されているわけですが,ダブルクロスマークの下部東側に位置する細長い島がセブ島ということになります。

 このセブ島の中心都市セブ市は最初にスペイン人が植民地化した都市ということもあり,歴史的遺物も多く残るセブ都市圏は,フィリピンではマニラ首都圏に次ぐ大都市圏を形成している。
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スペイン人のフィリピン進出

2011/12/13 22:25
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前回まではマゼラン一行の世界周航路を描いたルートマップを続けましたが,今日はその世界周航から40年と少し後にスペイン人が,マゼラン海峡を通らずメキシコ経由で太平洋を渡りフィリピンへ到達したルートを描く地図です。

 上の切手は,1965年にフィリピンからキリスト教伝来400年を記念して発行されたものです。スペインは1565年からフィリピンへの植民地支配開始し,それと同時にカトリシズムがもたらされたわけです。

 その後にアメリカ支配に移ってから,プロテスタンティズムももたらされますがあまり浸透せず,現在では国民の約90%強のキリスト教徒のうちほとんどがカトリック教徒です。

 切手印面の地図にはスペイン人の渡来ルートがガレオン船とともに描かれ,十字架の下に到達地のセブ島が示されています。よく見るとわかるように,この地図はセブ島の存在をわからせるために?にフィリピンがアメリカ大陸にくらべて大きく誇張されて描かれ,太平洋も実際の距離間隔よりはるかに短くなっています。
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アニェーゼの地図

2011/12/04 17:15
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前回,前々回とマゼランとエルカノによる世界周航の切手が続きましたが,その世界周航路を描いたルートマップは,現代の地図に航路を描き入れたものでした。ということで,今日はそのマゼラン一行の航路を世界周航達成後の1540年頃に描いた地図を紹介します。

 上の小型シートは,2008年にアフリカの小国ギニアビサウから船の発明というテーマで発行されたシリーズの1種です。この小型シート,よく見ると切手印面部分がインド航路を開拓したヴァスコ・ダ・ガマと帆船が描かれ,シート地右下にマゼランと帆船が,右上にマゼラン海峡を通過する船団が大きく描かれています。

 そして注目は,マゼランの肖像の上に描かれている世界地図で,マゼラン一行の世界周航路を描き入れたこの地図はベネティアの地図製作者アニェーゼにより1540年頃に製作されたものです。

 さらにシート地全体の背景には,以前紹介したトルコの提督ピリー・レイスの地図が描かれるなど,何とも豪華で派手?なシートで,さすがギニアビサウという感じになっていますが,切手展の出品には使えそうにありません。

 このアニェーゼの地図は,地図の歴史上非常に有名な地図なので,どこか他の国から単独の切手または小型シートで,ぜひとも発行してもらいたいものです。
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エルカノ

2011/11/26 22:09
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 前回マゼランの世界周航路のルートマップを紹介しましたが,その時にも書いたようにマゼラン自体はフィリピンで住民との争いに巻き込まれて死んでしまいます。したがって世界周航を成し遂げたのはマゼラン一行と書くのが正しいということになるかもしれません。
 
 そこで今日は,マゼラン死後に世界周航を完成させてスペインへ帰還したビクトリア号の指揮官エルカノを描いた切手です。上の切手は1994年にノーフォーク島から発行された探検家シリーズの1種ですが,エルカノの肖像と航路を描いた地図が図案になっています。

 ところがよく見ると,描かれている航路はスペインから南米最南端を経て太平洋に入りフィリピンまでのマゼランが指揮をしたルートです。エルカノを題材にした切手ならば,フィリピンからスペインへの帰還ルートを描いても良さそうなのですが,と思ってさらによく見ると,印面上部には初期の太平洋探検家とこの切手シリーズのタイトルが入っていました。

 ということで納得したのですが,このシリーズの額面ちがいでマゼランを描いた切手も発行されており,同じ航路が描かれています。よく考えてみれば,フィリピンまではマゼランが指揮をしたわけでエルカノはその部下の一人になります。すなわち,エルカノをこのシリーズに登場させるのも何となくおかしいような感じもするのですが。
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マゼランの世界周航路

2011/11/20 16:54
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 前回,マゼランの世界周航後に製作されたミュンスターの地図を紹介しましたが,今日はそのマゼランの世界周航路を描いたルートマップです。

 上の切手は,1993年にシスカイから発行された探検家シリーズの1種で,図案にはマゼランの肖像と旗艦ビクトリア号そして航路が描かれています。マゼラン一行がスペインのサンルカンを出帆してから大西洋を南下,南米大陸南端のマゼラン海峡をはじめて通過して太平洋に出,西進してフィリピンまでの航路が緑色で示されています。

 そして,マゼランがフィリピンで死んだ後の,インド洋を経てアフリカ最南端を通過してスペインへ戻るまでの航路が赤色で示されています。

 ちなみにこの切手の発行国シスカイという国は,以前アフリカの古地図切手で紹介した南アフリカのボフタツワナと同様,南アのバンツースタン国家の一つです。
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日米接近 ミュンスターの地図

2011/11/10 21:23
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 前回紹介した1492年製作のベハイム地球儀に描かれた縦長のジパングは,その後しばらく,いくつかの世界地図にも同様の形で描かれベハイム型と呼ばれましたが,前々回に取りあげたトルコのピリー・レイスの地図にも描かれていました。

 そこで,今日はもう1枚ということで上の切手です。これは1992年にオーストリアからヨーロッパ切手として発行されたもので,この年のテーマは「新大陸到達500年」でした。

 図案の地図は1540年頃にミュンスターによって製作されたもので,南北につながったアメリカ大陸が大きく描かれ,その西にベハイム型の日本が位置していますが,アメリカ大陸にこれほど近く描かれていると,アメリカからすぐにジパングに行けそうです。

 そして,この地図が製作されたのは,1522年にマゼラン一行が南米大陸最南端を周回して太平洋に入り世界周航を成し遂げた後ということで,太平洋部分にはその栄光を讃えるように,マゼランの旗艦ヴィクトリア号も大きく描かれています。

 
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ベハイムの地球儀

2011/11/03 21:21
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 先日紹介したピリー・レイスの地図に描かれた縦長のジパングはベハイム型の日本と呼ばれています。「ベハイム」というのは,1492年コロンブスが新大陸を発見したのと同じ年に,現存最古とされる地球儀を製作した人物マルチン・ベハイムのことを指しています。

 すなわち,彼の地球儀にはアジア大陸の中国の東にこの縦長のジパングを描いており,1492年製作ということでコロンブスが到達したアメリカ大陸は当然描かれていません。つまり,ヨーロッパと大西洋をはさんで日本や中国が位置しているわけです。

 まさに,これが当時のコロンブスやベハイムの世界観だったわけですが,ベハイムがこの地球儀に描いた縦長の日本が,しばらくの間いくつかの世界地図に描かれることになります。

 上の切手は,1992年にベハイムの地球儀500年を記念してドイツから発行された切手の「見本」で,印面には大きくニュルンベルクの博物館に現存するベハイムの地球儀が描かれていますが,実際に印面上で見える地球儀の範囲は,ヨーロッパ,アフリカからアジア大陸の部分で,ちょうどジパングと大西洋は見えていない裏側に描かれていることになります。
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ピリーレイスの地図

2011/10/29 22:06
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 前回紹介した北キプロス・トルコ共和国の地図切手に描かれていたキプロス島の古地図は,トルコの海軍提督ピリー・レイスによるものですが,このピリー・レイスについては以前紹介したことのある1515年製作の地図が有名です。

 上の切手がその地図を描いた切手で,コロンブスの地図(現存しない)の写しをもとにしたと言われています。大西洋をはさんでイベリア半島とアフリカの西部,そして新大陸の東部が描かれていますが,ちょうどイベリア半島と同緯度の新大陸の部分には,コロンブスがジパングと思いこんだ現在のイスパニョーラ島が縦長に描かれています。

 なお,この切手は先日の北キプロス・トルコ共和国の切手と同様,1983年に「人類の偉業」をテーマに発行されたヨーロッパ切手ということで,このピリー・レイスはトルコ本国と北キプロス・トルコ共和国の2国で同じテーマの切手に取りあげられた英雄と言うことになります。
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古地図と衛星画像

2011/10/23 17:29
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 久しぶりの更新ですが,今日も前回と同様,北キプロス・トルコ共和国の地図切手です。上の小型シートは同国から1983年に発行された同年のヨーロッパ切手で,キプロス島の古地図と衛星画像が図案の2連刷を収めています。

 このヨーロッパ切手というのは,ヨーロッパ各国において,毎年統一のテーマに基づいて発行される切手で(当初は統一図案の時代もありました。),この1983年は「人類の偉業」がテーマになりました。
 
 前回も紹介したように,この北キプロス・トルコ共和国は世界的には承認されていない国です。ギリシャ系住民からなるキプロス本国はEUにも加盟し,当然ヨーロッパ切手も発行しているわけですが,この北キプロスも負けじとヨーロッパ切手を発行しているわけです。ちなみに,トルコ本国も古くからヨーロッパ切手を発行しています(ヨーロッパ切手の発行は1956年が最初でトルコは1958年から)。

 ところで,今日の切手図案ですが,まさに人類の偉業の一つである衛星写真の画像が取りあげられていますが,これを画像処理した衛星画像地図はまさに現在の最新地図ということになり,(切手図案ではちょっとわかりにくいですが)詳細な起伏の表現は,古地図との対称で地図の歴史におけるその技術的変革を感じさせます。古地図の方は山地部の山並みが空想的・絵画的表現になっているのがわかります。

 地図における,この絵画的山並み表現は,おおまかに言うと,近代的な測量が始まって各国が本格的な測量と地形図制作をはじめる時まで,地図の歴史においてずっと用いられてきた表現です。実はそのあたりの「地図の起伏・立体表現」に的を絞ったストーリーで,今回のJAPEXにワンフレームクラス作品として出品しました。

 2週間後の週末に開催されるJAPEX2011(全国切手展)に来場予定の方は一度御覧いただければ幸いです。
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北キプロス・トルコ共和国

2011/10/02 11:48
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 地図と新月を組み合わせたデザイン図案の切手が続きましたが,今日は戻ってイスラム色の強い新月と星をデザインにした国旗と地図が図案の切手です。

 上の切手は1984年に北キプロス・トルコ共和国からトルコ人自治地域成立10年を記念して発行されたものです。北キプロスとは一般になじみのない国ですが,地中海東部に浮かぶ島国キプロス,実は8割のギリシャ系住民と2割のトルコ系住民の民族対立が独立当初からあり,1983年に北部のトルコ系住民が独立を宣言します。

 その結果,キプロスは現在完全に国家分裂状態になっており,切手図案の地図にはその分断線が明示されています。しかし,その独立を承認しているのはトルコ本国だけという現状で,日本も承認していませんので,日本の地図を見てもこの線は描かれていません。
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トルコ 強制附加金切手

2011/09/26 11:20
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 前回アフガニスタンの「赤新月」に対する強制附加金切手を紹介しましたが,今日ももう1枚ということで,同じくイスラム国家のトルコが発行した同様の切手です。
 
上の切手は1928年に発行された「赤新月」に対する強制附加金切手で,トルコの地図と赤新月がデザインのシンプルな図案の切手ですが,地図の方をよく見ると,トルコの河川や湖の分布がよくわかり,一種の水系図のような役割も果たしています。

 トルコの川や湖といってもなじみがないと思いますが,東部に見えるのが同国最大のワン湖で,乾燥地帯のため塩湖になっています。さらに現在の地図帳を見てみると,切手図案の地図にはない大きな湖がいくつか目につきます。図案の赤新月とワン湖の間にはダム建設によってできた大きな人造湖が現在はできています。
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アフガニスタン 強制附加金切手

2011/09/18 15:31
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 前回,イスラム国家の中で新月をデザインに取り入れた国旗の国をいくつか切手印面の中から紹介しましたが,今日の切手は,地図とイスラムの象徴である新月の組み合わさったデザインの切手です。

 上の切手は1958年にアフガニスタンから発行されたものですが,同国の国土と赤い新月がデザインのシンプルな地図切手です。地図の方は同国の国土形態がよくわかるデザインでいいのですが,赤い新月は「赤新月」を表しています。「赤新月」はいわゆるイスラム国家以外の「赤十字」に相当するものです。

 すなわち,この切手はある一定の期間に限って,全ての郵便物に赤新月に対する寄附金を強制的に課すために発行された切手で,その期間郵便利用者は通常より高い郵便料金を払うことになるわけです。切手収集では強制附加金切手と分類されるこのような切手は,ヨーロッパの国では同じく赤十字への寄附を課すために発行した国がありますが,日本では発行されたことはありません。

 日本でもいわゆる寄附金付切手は今までにも数多く発行されていますが,その切手を使うかどうかはあくまでも郵便利用者の自由意志ということになります。今回の東日本大震災に対しても6月に発行されています。できることなら今回のような大災害では強制附加金切手として発行しても良かったのではと思ったりしますが,郵便自体の利用(切手の利用)が減っている現状ではどのような結果になるかわかりませんが。
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トルコ系とインド・イラン系

2011/09/10 21:24
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 先日来,北アフリカのイスラム教アラブ国家の地図切手を国旗を交えて紹介してきましたが,もちろんイスラム国家の全てがアラブ国家というわけではありません。
 
 ということで今日取りあげたのが上の切手です。2007年にイランから2006年に開催された第3回経済協力機構郵便事業会議を記念して発行されたもので,加盟国10ヶ国の地図と国旗が描かれています。これらの国々は地図でわかるように連続した地域に分布していますが,実のところは地理的に分類すると西アジア,南アジア(パキスタンは現在のインドなどとともに英領インド植民地を形成していたため,通常はインドと同じく南アジアに分類します。),中央アジア(旧ソ連のうちカスピ海東部地域の5ヶ国),カフカス地域(旧ソ連のうちカスピ海西部の3ヶ国)に分類されます。

 すなわち民族の交錯する地域と言いかえてもいいわけですが,この10ヶ国の共通点はイスラム教国家だということです。国旗を見てみると半数の5ヶ国の国旗が新月と星のデザインが描かれています。民族的にはどうかというと,トルコ系の国がトルコなど6ヶ国,インド・イラン系がイランなど4ヶ国になります。さてその振り分けと10ヶ国の国名がすぐに答えられる方はかなりの地理通ということになります。

 ちなみに,先日日本男子サッカーチームがワールドカップ予選で戦ったウズベキスタンはトルコ系国家になります。
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モーリタニア

2011/09/06 21:30
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 先日紹介したアラブ・マグレブ連合加盟国のうち,モーリタニアをのぞく4ヶ国は地中海に面する国で,マグレブ(アラビア語で太陽の沈む「西」を表す。)諸国と通常呼ばれます(リビアを含めない場合もある)。

 残るモーリタニアは地中海には面しておらず大西洋のみに面する国ですが,スペインが西サハラの植民地支配を放棄したときには,モロッコとその西サハラを南北に分割領有宣言した経緯があります。その後モーリタニアは西サハラから撤退して,現在は西サハラ全体をモロッコが領有主張しているわけです。

 ということで,今日はモーリタニアの地図切手です。上の切手は以前にも紹介したことのある切手ですが,1960年に独立宣言を記念して発行されたもので,モーリタニアの地図と国旗が図案として描かれています。同国は南部に一部黒人も居住しますが,主たる民族はアラブ系で,公用語はアラビア語,宗教はイスラム教といういわゆるアラブ国家で,国旗もイスラム色の濃いものになっています。
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「新月と星」の国旗

2011/09/03 12:47
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 先日紹介したチュニジアの地図切手には国旗と同じデザインの新月と星も描かれていましたが,このデザインは砂漠が分布する国の多いイスラムの象徴ともいわれ,灼熱の昼の時間の暑さに対して,夜間の安息の時を表すシンボルとして,これを国旗にも採用しているイスラム国家が多いというわけです。

 ということで,今日取りあげた切手は,この新月と星のデザインの国旗がいくつか登場する地図切手です。上の切手は,1991年にモロッコから第4回マグレブ・アラブ連合首脳会議を記念して発行されたもので,リビア,チュニジア,アルジェリア,モロッコ,モーリタニア5ヶ国の地図とそれぞれの国の国旗が描かれた図案になっています。
 
 このうち,3ヶ国の国旗が新月と星のデザインで,右から二つ目のチュニジア,三つ目のアルジェリア,そして一番左のモーリタニアということになります。
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チュニジア独立年

2011/08/30 22:28
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 北アフリカの国々の地図切手を続けていますが,もう一国ということで,今日はチュニジアです。上の切手は1958年に同国から発行された独立3周年を記念する切手で,図案には同国の地図とその中央に国旗中央部と同じデザインの三日月と星が描かれています。

 独立3周年ということで,図案の地図下部には1955−1958,6月1日の年月日が記載されています。ところが世界各国を紹介するガイド本,要覧,事典などを見ると,チュニジアの独立年はどの文献も1956年となっています。

 このちがいの真実は?ということになりますが,実はこの切手,再発行切手ということで,この切手の発行2ヶ月少し前の同年3月20日に,同図案刷色ちがいで独立2周年の記念切手が発行されています。

 この謎解きは,当初発行の2周年記念切手に示されている1956年3月20日は完全独立を表しており,各文献にも通常はこの年が独立年として記載されています。一方,1955年6月1日はフランスからの独立運動の結果,内政上の自治が認められた日で,こちらを基準に考えると3周年ということになるわけです。
 
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リビア国旗

2011/08/26 21:47
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 北アフリカの国々の地図切手を続けていますが,今日はカダフィ政権崩壊ということで,今話題のリビアの地図切手です。
 
 上の切手は,1956年にリビアの国連加盟1周年を記念して発行されたもので,図案にはリビアの地図が描かれていますが,その中央に国連本部ビルをはさんで左側に国連旗,右側にリビア国旗も描かれています。(画像はクリックで拡大されます。)

 現在のリビア国旗はカダフィ大佐によって緑一色の国旗に変えられてしまいましたが,最近のニュース映像などを見ると,反体制派が掲げている旗は,この切手図案の旗と同じ様です。ということは新しい政権が誕生すると国旗も元通りに戻ることになりそうです。

 図案の地図をよく見ると,地中海沿岸に首都のトリポリと先日まで反体制派の拠点であったベンガジの両都市がしっかりと描かれています。
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西サハラの独立は

2011/08/23 15:33
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 先日紹介した南スーダンの独立に対して,いまだ住民投票が実施されず独立直前までいきながら独立できないのが西サハラです。

 西サハラはスペインの植民地撤退により,1976年サハラ・アラブ共和国として独立を宣言しますが,モロッコが領有を主張し紛争が現在まで続いています。国連の仲介で西サハラ地域での独立を問う住民投票が行われることが決まりましたが,未だに実現していません。

 モロッコはこの西サハラ領有を主張するために,政府が組織した「緑の行進」と呼ばれる住民によるデモ行進を実施しましたが,その32周年記念して2007年に発行されたのが上の切手です。

 近年,モロッコから発行される地図切手は,必ず西サハラを含めてモロッコの領土を描いており,その領有をしっかりと切手でアピールしています。
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アフリカ最大の国アルジェリア

2011/08/20 21:49
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一昨日の最後は,スーダンに替わってアフリカ第1位の面積国になったのはどこ?という問いかけで終わりましたが,その答は北アフリカのアルジェリアということで,今日は上の地図切手です。

 2006年にアルジェリアから中国・アフリカ協力フォーラム北京サミットを記念して発行された切手で,この会議は同年11月に2日間開催されています。図案の地図を見るとアフリカ大陸の中でアルジェリアの位置をわかりやすく示す地図になっていますが,同時にその面積の規模の大きさもよくわかります。

 このような会議が開催されていたことが,この切手の存在で確認できたわけですが,中国が色々と外交面で手を打ってくる様子がよくわかります。ちなみにスーダンの紛争の一因にもなっている同国の油田の開発にもエネルギー需要が急増している中国が絡んでいます。
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スーダンの国土

2011/08/18 21:42
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 先日来,スーダンがエジプトの支配下にあったと紹介しましたが,そのスーダンが結局イギリスとエジプトの2国統治から完全に独立するのは1956年のことです。ということで今日の切手は以前にも紹介したことのある切手の刷色,額面ちがいの切手になりますが,1990年に発行された独立34周年の切手です。
 
 切手図案の地図は単色でシンプルなもので,かえって国土の形態がよくわかります。このスーダンは独立以来北部のアラブ系が政治の主導権を握り,南部の黒人勢力と対立してきましたが,ご承知のように先月南スーダンが独立を達成し,既に国連加盟も承認されています。この切手図案の地図を見て,すぐにその南北の国境線を引くことができる方は,相当の国際事情通ということになります。

 地図切手ファンとしては,新しい独立国から早く地図切手が発行されることを待ち望んでいるところです。ちなみにスーダンはこの南スーダンが独立するまでは,アフリカ最大の面積を有する国でしたので,南北分離によりその栄誉?はなくなりました。さて現在,アフリカ最大の面積の国はどこになったのでしょうか。これも答がすぐに出る方はかなりの地理通ということになりますね。
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ムハンマド・アリー王朝

2011/08/15 22:14
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 一昨日紹介したように,エジプト革命によって1953年に王制が廃止されますが,その王朝はムハンマド・アリー朝ということで,今日はその王朝の基礎を築いたムハンマド・アリーの肖像も描かれた地図切手です。

 上の切手は,1949年にムハンマド・アリー没後100年を記念してエジプトから発行されたもので,1849年当時のエジプトの版図を示す地図が描かれており,ナイル川の流路もはっきりと示されています。

 ちなみに,オスマン帝国の支配にあったエジプトでは,1805年このムハンマド・アリーがエジプト総督に就任し,その後オスマン帝国に反発するアラビア半島のサウド王国を1818年に滅ぼし,さらに1820年にはスーダン北部も攻略してエジプトの版図を広げた功績があります。地図の濃い色の部分がその版図ということになります。
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ナイル川の蛇行(2)

2011/08/13 21:06
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 今日も,先日に続いてナイル川の蛇行する流路が描かれた地図切手ですが,これは古地図ではなく現代の地図です。
 
 1978年にエジプトから発行された,7月23日革命(エジプト革命)26周年を記念する切手です。この革命は1952年にナセル率いる自由将校団がクーデターを起こした革命で,翌年エジプトは王制から共和制に移行することになります。
 
 図案の地図はエジプトとスーダンの2国続きの地図になっていますが,革命当時の1952年,スーダンはイギリスとエジプトの2国による統治を受けている状況で,まだ独立していませんでした。
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ナイル川の蛇行

2011/08/11 22:33
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 今日は先日紹介した切手に続いてもう1枚,ボフタツワナから発行されたアフリカの古地図シリーズの切手を取りあげます。
 
 上の切手には,1540年にミュンスターによって製作された地図が描かれていますが,ナイル川の描写をよく見ると先日の切手もそうでしたが,中流部の蛇行部分がはっきりと描かれています。
 
 ナイル川の流れ方,赤道付近から流れる白ナイル川は,案外南北にまっすぐ流れているイメージをお持ちの方も多いのではと思ったりしますが,このように中流部で蛇行しているのが正しく,現在の国ではこの蛇行部分はスーダンの北部ということになります。
 
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国際切手展の残像 続き

2011/08/07 17:31
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 一昨日紹介したボフタツワナの切手ですが,今日は拡大してもう一度表示しています。この地図は1508年にフラカンツァーノによって製作されたもので,アフリカを描いた最初の印刷地図として知られていますが,このアフリカの地図の中で,ナイル川が月の山から流れ出る描写は,古代ローマ時代の地理学者プトレマイオスの地図に依っています。

 一作日も書いたように,このボフタツワナはバンツースタン国家の一つですが,承認したのは南アフリカ共和国のみという,いかがわしい国になるわけで,アパルトヘイト政策撤廃により消滅するという短命国家に終わります。
 
 アフリカの古地図を描く切手シリ−ズということで,マテリアルとしては申し分ない切手なのですが,この国の切手を切手展の作品に使うのはどうかと考え,私の今回の国際展の作品では全て展示から外しましたが,使用することに問題はないかなという感じで,今後は使っていく方向で考えているところです。
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